中国 七彩山とシルクロードの旅

西安 兵馬俑

西安 兵馬俑

鳴沙山(めいさざん)

鳴沙山(めいさざん)

 

7月30日から8日間、中国のシルクロード沿いの絶景を回遊する旅行に参加した。

7月30日(土) 成田空港から上海浦東空港経由で西安へ

成田-上海と上海-西安の飛行機は便名がどちらもMU-0522で同じだったので同じ飛行機(機材)と思っていたが違っていて面食らった。上海-西安の2つ目の飛行機に搭乗する時、成田-上海の1つ目の飛行機とデザインが違っていたので、乗り間違えたのではと不安になった。何せ上海浦東空港は広く、飛行機に乗るにもバスで空港内を結構長い時間走り回って飛行機のタラップの下まで行く。降りたところで周りに同行の日本人もいなかったのでますます不安になった。やむなく整備をしていた中国人にカタコトの英語で訊いたら、「チェンジ」という単語が聞こえたので少し不安が解消され、さらに乗務員に搭乗券をしっかり確認してもらい乗り込んだ。

夏休みに入っていることもあって飛行機はほぼ満席。上海から西安へ向かう飛行機が遅れたためホテルに着いたのは24時を回っていた。

7月31日(日)西安観光

西安は1周14kmの城壁に囲まれているが、その西の門がシルクロードのスタート地点になる。今から2000年前、張騫(ちょうけん)が武帝の命を受け、軍事目的のために開拓したのがシルクロードであった。それは、背が高く強い馬をロシアに求めるためであった。さらに、遊牧民族に勝つためにところどころに軍事的要衝を作った。
西安といえば秦の始皇帝の兵馬俑であろう。今回、2度めの訪問であるがかなり整備が進んでいた。現地ガイドの説明では、「西安の地下は歴史的宝物の宝庫」であるそうだ。発掘が進めば新たな歴史の展開につながる可能性も十分あるようである。
始皇帝は、文字通り中国全土を初めて統一して統治を始めた皇帝であるが、さまざまな改革を行っている。一つ目は文字の統一。日本の印鑑によく使われている篆書(てんしょ)がそれである。日本の紙幣に押された印にも使われている。日本文化の源はやはり古代中国という印象を強くした。2つ目は通貨の統一。これは経済活動の基本であろう。3つ目は度量衡の統一。それから派生した形で馬車の車輪の幅を統一した。古代は舗装していない土の道路だったので馬車の通る轍(わだち)が重要になる。車輪の幅を統一することはスムースな通行に欠かせないことなのである。その車輪の幅は鉄道のレールの幅につながっているとガイドの説明。2000年以上前の政策が現在につながっていることに驚くばかりである。
西安は、関中(かんちゅう)平原の中部に位置し、北に渭水(いすい、黄河の支流)が東西に流れ、南は秦嶺(しんれい)山脈が東西に走っている。山に囲まれていて外敵から守りやすいので皇帝が好んだ。土地は肥沃でトウモロコシがよくとれるそうである。また、中国では美しい石や宝石のことを「玉(ぎょく)」というが、西安ではこれもよくとれる。昔は金より価値があったそうで、玉を使った装飾品も多数残されていた。
人口は、周辺地域も入れると約1000万人。大学がたくさんあり、その中の交通大学は江沢民元主席の出身大学である。北京・上海に比べ物価が安く、マンションの値段も10分の1(1㎡あたり6000元)であるため、マンションがどんどん増えているそうである。
 

西安 永寧門(城壁の南門)

西安 永寧門(城壁の南門)

兵馬俑の入口の看板(秦兵馬俑壱号坑大廳、篆書体)

兵馬俑の入口の看板(秦兵馬俑壱号坑大廳、篆書体)

兵馬俑

たくさんの像でその規模がわかる 観客の多かった

兵馬俑

一人一人の表情が違う

手前地図の西安市の地形が座像に似ている

手前地図の西安市地形が座像に似ている

兵士の座像の靴底 こんなところまで丁寧に作っている

兵士の座像の靴底 こんなところまで丁寧に作っている

リアルな像を作る技術がすでにあった

リアルな像を作る技術がすでにあった

シルクロード展覧館

シルクロード展覧館

秦の時代、馬の背丈が人とほぼ同じ

秦の時代、馬の背丈が人とほぼ同じ

西安市内

西安市内

交通大学

交通大学

マンション群

マンション群

8月1日(月)西安 漢陽陵と敦煌(とんこう)
 

「漢の兵馬俑」と言われている漢陽陵の見学。「裸の兵馬俑」ともいわれている。それは、人の埴輪が裸の状態なのである。もともと衣服を本来の布で着せていたため、長い年月でなくなってしまったのである。また衣服を着せるため人の腕の部分は木製で作っていたが、腐ってなくなっており腕のない裸の着せ替え人形という感じであった。

午後からは国内線で空路敦煌へ向かう。敦煌の空港への着陸では飛行機がかなり揺れた。着陸後理由が分かった。砂嵐であった。昨日からの砂嵐で街全体がスモッグに覆われたようにかすんでいた。ガイドさんに尋ねたら、かつて1990年代に1週間ぐらい砂嵐が続いたことがあるそうである。砂漠に近いところだけに理解できたが視界がかなり悪い状態でこれからの観光が心配になった。いったんホテルで休憩して後、鳴沙山(めいさざん)と月牙泉(げっかせん)の見学。砂嵐の影響は残っていたが視界はよくなっていて、巨大な美しい砂山である鳴沙山とそのオアシスである三日月形をした月牙泉を写真に映すことができた。それにしても観光客の多いことにびっくりした。
 

漢陽陵(かんようりょう)

漢陽陵(かんようりょう)

”裸の兵馬俑”

裸の兵馬俑;

腕は木製だったのでなくなった

腕は木製だったのでなくなった

さまざまなはにわ

さまざまなはにわ

鳴沙山の入場口

鳴沙山の入場口

巨大な砂の山

巨大な砂の山

かなり整備されていた

かなり整備されていた

背景は砂漠のオアシスの月牙泉(げっかせん)

背景は砂漠のオアシスの月牙泉(げっかせん)

月牙泉の大きさはちょっとした池ぐらい

月牙泉の大きさはちょっとした池ぐらい

ラクダの行列、観光客の数が日本の比ではなかった

ラクダの行列、観光客の数が日本の比ではなかった

8月2日(火)敦煌 莫高窟(ばっこうくつ)の観光

莫高窟は敦煌近郊の鳴沙山と三危山(さんきざん)の間にあり、中国三大石窟の一つで仏教遺跡である。
僧侶の楽尊(らくそん)が西暦366年に鳴沙山の断崖に石窟を築き、修業したのが始まりとされている。楽尊が三危山の山頂に金色の光と仏の姿を見たことがきっかけという。その後、14世紀まで約1000年間、石窟は掘り続けられた。しかし、そのあとの500年間は眠っていた。
入場した後、最初に敦煌の歴史を大河ドラマ風に紹介したビデオを見た。そして莫高窟仏教芸術のエッセンスを紹介したビデオをプラネタリウム風の部屋で鑑賞した。非常にすばらしかったが、なぜ現物を見る前にビデオなのか、不思議に思った。理由の一つが後でわかった。莫高窟内は一切撮影禁止。それも無理もない。1600年以上前の絵画や仏像を現状のままで後世に残していくためには。
今回見学した中で印象に残ったのは第57屈の美人画であった。壁画の下から懐中電灯の光をあてると凹凸がはっきりわかり、細かい衣服の装飾物が立体的に作られているのがよくわかった。彫刻で彫ったのではなく、粘土で作ったものを貼り付けたような感じであった。
 

莫高窟といえばこの写真

莫高窟といえばこの写真

こういう建物がところどころに

こういう建物がところどころに

側面から見たところ

側面から見たところ

各部屋(屈)が横に並んでいる

各部屋(屈)が横に並んでいる

撮影が許される外壁に絵が見える

撮影が許される外壁に絵が見える

後世に残すための整備が進んでいた

後世に残すための整備が進んでいた

8月3日(水)七彩山(しちさいざん)=七彩丹霞(たんか)国家地質公園の観光

今回の旅行の目玉スポットである七彩山の見学。発見され整備されてからまだそれほど年月が経過していない。事前にインターネットで「あざやかな虹色の山を期待すると落胆する」というような情報を得ていたのでそれほど期待せずにいたが、実際は期待以上の色であった。ペンキを使って山に色付けしたような縞模様が広い範囲で見られるのである。一見の価値はある。なぜこういう地質ができたのかについては詳しい説明がなかった。研究中ないしこれから研究されるようである。広大な中国の国土にはまだまだ人知の及ばぬ自然の不思議がたくさん残されているようだ。見学後、バスで西寧へ。
 

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▲ミニ中国語・チベット語会話

日本語           中国語                    チベット語

おはよう         早上好 ザオシャンハオ

こんにちは       你好 ニイハオ                 トゥシデレ

こんばんは       晩上好 ワンシャンハオ

おやすみ        晩安 ワンアン

ありがとう        謝謝 シエシエ                 トゥジッツェ

どういたしまして    不客気 ブークゥーチー

ごめんなさい      対不起 トゥイブチー

おつかれさま     辛苦了 シンクーラ

はい/いいえ     是/不是 シー/ブーシー

わかりました/わかりません 明白了/不明白了 ミンパイラ/プーミンパイラ

いります/いりません 我要/我不要 ウオヤオ/ウオプーヤオ

元気ですか?     你好吗 ニイハオマ

いくらですか?     多少銭 トゥオシャオチエン

 

8月4日(木)5日(金)西寧(せいねい)観光

標高2000m以上の高原都市西寧は夏でも涼しかった。したがって中国の人々はここを避暑地として利用している。マンションの価格も上海や北京より安いので移り住む人も多く建設中や改修中のビルが多かった。西寧の季節には冬と夏しかない。春や秋という季節は感じないそうである。10月半ばには雪が降る。民族としては回族(イスラム教信者)が多く、続いて漢民族、チベット族、モンゴル族、土族と続く。西寧では肉が野菜より安い。寒い冬を乗り切るために肉をたくさん食べるのである。くだものはほとんど獲れないので高い。
上海市は西寧市を経済的に支援しているそうである。

チベット仏教 タール寺
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西寧市内風景

西寧市内風景

イスラム教寺院 清真寺

イスラム教寺院 清真寺

青海省博物館

青海省博物館

館内展示物

館内展示物

南禅寺

南禅寺

夜間のライトアップが目立っていた

夜間のライトアップが目立っていた

8月6日(土)帰国

西安空港から上海経由で成田空港に帰国。帰りはやはり飛行機に乗っている時間が短かった。

お疲れ様!

 

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