バルト三国旅行記(エストニア・ラトヴィア・リトアニア)

トラカイ城 リトアニア

タリン旧市街をトームペア展望台から エストニア

8月23日から9月1日まで10日間、北欧バルト海に面するバルト三国を旅行した。日本では暑い日が続いていたが、現地は日本の11月ぐらいの気温で涼しく、肌寒さを感じる時もある気候であった。天候にも比較的恵まれて楽しい旅をすることができた。

8/23 (水) 成田からヘルシンキへ、そしてタリンへ
 

3万トン以上のフェリー

タリンクシリアライン

 今回は往復JALを使った直行便のため、長時間のフライトは比較的楽であった。
成田空港を午前10時30分に出発して10時間余でフィンランドのヘルシンキに着いた。その後バスで港へ行き、タリンクシリアラインに乗船した。3万トンを超える巨大なフェリーで、船の中にスーパーマーケットがあったのが驚きであった。それだけ北欧フィンランドとバルト三国との人の往来が多いということだろう。北欧は高福祉・高負担のため物価が高い。それに比べバルト三国は物価が安いので北欧の人が買い出しにこのフェリーを利用しているとのこと。逆にバルト三国の人は高い賃金を求めてフィンランドで働くためにこの船を利用するとのこと。経済というのは必然的にこうなると思った。バルト海クルーズを楽しみながら2時間でエストニアの首都タリンに着いた。
☆ヘルシンキ ミニ市内観光
 フェリーに乗る前に時間が数時間あったため、添乗員さんの配慮でヘルシンキ市内を観光させてもらった。最初に目に入ったのは歩道に並行して自転車道が整備されていること。ヘルメットをかぶった人が結構走っていた。またトラムという路面電車が走っており、市民の足になっていた。8月とはいえ夏のような暑さは全くなく、もう秋のような感じであった。地理的な位置からしてもっともなことであった。

歩道と自転車道

路面電車トラム

ヘルシンキ大聖堂

港近くで

港で

ヘルシンキ市内


8/24(木) エストニア第2の都市タルトゥへ

バスでホテルを出発しタルトゥへ向かう。昼食後、タルトゥの市内を徒歩観光。タルトゥ大学や大聖堂などを見学した。その後、ラトヴィアの首都リガへ向かう。
☆バルト三国の基本情報
 エストニアは九州と同じぐらいの面積で、ラトヴィアは九州と四国を合わせたぐらい、さらにリトアニアは北海道の8割ぐらいの面積。人口はエストニアが約132万人、ラトヴィアが約201万人、リトアニアが約295万人。1991年に三国そろってソビエト連邦から独立した。文化はそれぞれ独特のものを持っており、言語もそれぞれ違っている。エストニアは北欧に近い文化である。エストニアの首都タリンとラトヴィアの首都リガはハンザ同盟の都市だった。そういうこともあって、ドイツの人々が「心のふるさと」を求めて訪れることが多いそうである。泊まったホテルの朝食会場で隣に座った老夫婦はドイツから来たと話していた。
 エストニア人の特徴はとにかく大柄な人が多いことである。日本人が小さく見えるのである。それもそのはず、男性の平均身長は世界第3位で181cmであった。もう一つの特徴は、IT企業が盛んであること。インターネットを利用したTV電話として世界中に普及した「Skypeスカイプ」を作ったのはエストニア人であった。経済は三国の中でエストニアが一番発展しており、コンピュータの普及率も高い。エストニアで有名な行事といえば、5年に1度行われる大音楽祭である。10万人が一斉に歌う巨大合唱が圧巻だそうである。
 

タルトゥ大学

天使の橋

悪魔の橋

壁に描かれたタルトゥ大学

大聖堂

聖ヨハネ教会

大聖堂内部

市庁舎

8/25(金) リガ歴史地区観光
 

 朝一番の観光は中央市場であった。元は倉庫だった建物をリフォームして作った巨大な市場で食料品から衣料品までさまざまなものが売られていた。地元の人々の生活感がただよっており、庶民的な雰囲気を楽しみながら買い物をすることができた。
 リガは人口約70万人でバルト三国のほぼ中心に位置しており、3国の中でも一番大きな都市である。帝政ロシア時代にはロシア第3の都市に発展した。その象徴ともいえるのがユーゲンシュティールエリアの建物群である。アールヌーボー様式の建物がたくさん残っている。建物の外観はさまざまな装飾が使われており綺麗であるが、中は住みにくいということである。リガは歩いて回れる範囲に観光スポットが集積していたので3時間ほどかけて徒歩観光をした。幸い雨は降っていなかったが肌寒さを感じる気温であった。
☆アールヌーボー様式:19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動。「新しい芸術」を意味する。
 

中央市場

 

ユーゲントシュティール建築群

リガ大聖堂

大聖堂内パイプオルガン

工事中のブラックヘッドハウス

猫の家

聖ペテロ教会

ブレーメンの音楽隊

スウェーデン門

ドーム広場の壁画

   

8/26(土)カウナス市内観光


 バスでホテルを出発してカウナス市内を観光する。「いのちのビザ」で有名な杉原千畝ゆかりの地であり、旧日本領事館やカウナス駅などを見学した。さらに大聖堂、旧市庁舍広場、カウナス城などを見学。そしてヴィリニウスへ。

旧日本領事館

領事館入口

執務室

杉原千畝が宿泊したホテルの銘板

聖ペテロ&パウロ大聖堂

大聖堂内部

カウナス城

カウナス城近くの広場

旧市庁舎前の広場

「人間の鎖」の写真

8/27(日)トラカイとヴィリニウス歴史地区観光


 ヴィリニウスのホテルを出てわずかの時間でトラカイに着いた。非常に美しい風景画のような光景であった。外見も内部もきれいに修復がなされており整備が行き届いていた。ガルヴェ湖上に浮かぶ島の上に建てられた城で、城の建設は中世リトアニアの君主ケストゥティスにより始められ、1409年頃に彼の息子であるヴィタウタスによって完成された。彼は1430年にこの城で亡くなっている。トラカイはリトアニア大公国において中心的な場所であり、城も戦略的に大変重要な位置にあった。(一部ウィキペディアより引用)
 午後はヴィリニウスに戻って歴史地区の観光。あいにくの雨だったが、傘を差しながらシャッターを切った。
 

トラカイ城

風景画のようなトラカイ城

城内の風景

城内の風景

城内で中世風パフォーマンス

建物内部

建物内部 古さがわかる

廃墟だったころの絵

中世の刑罰のひとつ

ヴィリニウス歴史地区

聖ペテロ&パウロ教会

教会内部

夜明けの門

ヴィリニウス大聖堂

ヴィリニウス大聖堂

大聖堂広場のゲディミナス大公像

旧市街

 

8/28(月)シャウレイの十字架の丘へ

   今日は観光する所は1カ所だけでほぼ移動日という感じであった。ホテルを出発して200km以上走ってシャウレイに着く。
十字架の丘はシャウレイの北12kmの場所にある。約50,000ともいわれる十字架が建てられており、その数はどんどん増えている。なぜなら観光客が来るたびに1人1人が新しい十字架を買って建てていく習慣になっているから。ここは墓地ではなく、遺体が埋葬されているわけではない。いわゆる巡礼地である。リトアニア人が過去に戦争などで亡くなった人を悼むために十字架をここに建てて礼拝する場にしたそうである。

   観光後はリガへ向けてバスを走らせた。

大小さまざまな十字架

奥まで行くことができる

8/29(火)バルトのヴェルサイユ・ルンダーレ宮殿へ
 

 ルンダーレ宮殿はラトビアの首都リガから約80kmのところに位置するピルスルンダーレにある。バロック-ロココ様式の記念建造物の一つである。1736−40年にビロン公の夏の宮殿として建てられた。建物の内部も広い庭もきれいに整備されていて、ウィーンにあるシェーンブルン宮殿を思い出した。

庭園側からの宮殿

庭園

入口

庭園側からの宮殿

廊下

天井の絵

壁の彫刻

寝室

こういう部屋がいくつも

肖像画


☆本日、ちょっとしたアクシデント

 朝、ホテルを出発してほどなく、同行の女性が「スーツケースが落ちてる」と指摘。窓の外を見ると、バス胴体部のトランクが開いており、中にあったスーツケースが数個、路上に落ちていた。運転手はバスを止めそれを拾いに行った。幸い後続の車が止まってくれたため、スーツケースを車がひいてしまうことはなかった。あわや大事故になるところであった。

落ちたスーツケース

8/30(水)タリン歴史地区観光、そしてフィンランドへ

   エストニアの首都タリンの歴史地区を見学した。最初にロシア正教の教会であるアレクサンドルネフスキー寺院を見学した。ヨーロッパにある一般的なカトリック教会と形が違い、玉ねぎのようなドーム型をしている。私にはイスラム教のモスクに似ているように見えた。教会内で一つ目を引いたのは、日露戦争で日本海軍に負けたバルチック艦隊の戦死者の慰霊銘板があったこと。意外な関係があるものである。
 旧市街は展望台からの眺めが抜群である。遠景に海が見え、巨大な船が航行していた。街中を歩いて散策すると、中世の雰囲気をそのまま感じることができる石畳や建物、狭い路地から見える教会の塔など、絵になる光景が満載である。
余談になるが、エストニアではIT産業が盛んであるということを前述したが、もう一つの例を最近知った。エストニアには、NATO北大西洋条約機構のサーバー防衛研究所があるということである。現在の世界情勢からして今後その重要性がますます増すであろう。それからもうひとつ。コンピュータの基本ソフトとして世界中に普及しているLINAX(リナックス)を開発したのは、バルト海の対岸フィンランド出身のリーナス・トーバルズ氏(Linus Torvalds)であった。この地区はITに縁が深いようである。

 観光の後、再びヘルシンキ行きの巨大なフェリーに乗った。行きの船より大きかった。帰りの船は、中にスーパーもあったがデパートもあり、多彩であった。ゆっくりと船旅を楽しめた。

アレクサンドル・ネフスキー寺院

トームペア城

展望台からの旧市街

遠景に船

展望台から

国会議事堂

旧市街

城壁

旧市庁舎

ホテルからの旧市街1

ホテルからの旧市街の眺め

 

8/31(木)フィンランドでスオメンリンナ要塞見学

 スオメンリンナ要塞はヘルシンキからフェリーで約15分のところにある島の要塞である。1748年、ロシアに対する守りを固めるため、当時フィンランドを支配していたスウェーデン王の命により要塞の建造が始まった。そして40年の歳月をかけて完成した。しかし1809年にロシア軍に占領されると、100年以上にわたりロシアの要塞になった。そして1917年のロシア革命でフィンランドは独立を果たし、島はスオメンリンナ(フィンランドの要塞)と名を改めた。

教会

作った人アウグスト・エーレンスヴァルトの墓

9/01(金)帰国の途に。ラッキーなことが!

 幸運にもオーロラを見ることができた。機長が親切にもオーロラが見えると教えてくれた。飛行機の上から見るオーロラは結構長い時間見ることができた。生のオーロラを見るのは初めてだったので感動であった。

中央部斜めの光の帯や左上の光がオーロラ、右の光の点は翼の先

Submit comment

Allowed HTML tags: <a href="http://google.com">google</a> <strong>bold</strong> <em>emphasized</em> <code>code</code> <blockquote>
quote
</blockquote>