スリランカ旅行記

2012年8月11日から16日までスリランカに行ってきました。いろんな「異文化」を体験できた旅でした。その一端を紹介します。

野良犬と仏教

道路の真ん中で寝ている犬

道路の真ん中で寝ている犬

 この国の印象として真っ先に残ったのは野良犬と仏教です。あちらこちらに野良犬が昼寝をしていたり、歩いていたり、ともかく人間と共存していた。首輪はついておらず野良犬である。昼寝をしている犬は死んでいるのではないか、と思うぐらい無防備に寝ている。日本では考えられない光景であった。日本語のガイドさんに聞いてみると、やはり小乗仏教であるがゆえに“不殺生”は許されないのである。国民の7割が仏教を信仰しているのでそれが行き届いているのである。ちなみに「小乗仏教」というのは差別的な表現だそうで、正しくは「上座部仏教」と呼ぶそうである。ともかく教えには忠実に従うことが要求されるのであろう。犬だけではなく猿も結構たくさん見かけた。ある仏教施設でお供えしている花を一生懸命食べている猿を見かけたが、誰もあまり追い払おうとしないところが日本と違う。止まったホテルでバルコニーに出る扉には、“猿に注意”と書いてあった。

裸足と脱帽

地方に行くとよく見かけるのが裸足の人。人間の体というのは順応性

仏教遺跡は靴を脱ぎ裸足で

仏教遺跡は靴を脱ぎ裸足で

 

 

 

 

 

 

 

 

が高く、ずっと裸足で歩いていると足の裏が靴の底のように固くなっているようである。ふだん靴を履いている日本人にはまねができないと思った。ところが今回その裸足を体験することになった。主要な仏教施設に入る時、靴を脱ぎ帽子をとることがルールだったのである。やむなく靴を脱ぎ、靴下で施設の中に入った。それもごく普通の庭のようなところを靴下ひとつで歩くのである。右の写真がその光景である。日が照っている地面の上は、足の裏が厚くないのでやはり熱かった。しかも帽子を脱いでいるので、正に頭のてっぺんから足の先まで暑い状態だった。しかし生まれて初めての体験であり新鮮であった。裸足で歩くスリランカ人になった気分で正に異文化を体験した。

 

反対車線は追い越し車線?

交通インフラはおおむね整備されているが感覚的には10~20%前後は工事中であるように思えた。工事中の道路を走るとまさに“マッサージ道路”と化した。コロンボ市街地以外ではほとんど信号機を見かけなかった。そのせいか、交通マナーは他のアジア諸国と同じように悪かった。交通ルールはあるのだろうけれど日本人の感覚では無理な追い越しが一般的になっていた。片側1車線の道路で対抗の反対車線のずっと先を見て、車が来ていなければ追い越しをするのである。追い越しのため反対車線を走行していて、対抗の車が来て正面衝突する間際に自分の車線に戻るのである。これが繰り返されると慣れてしまうのである。たしかに運転手は運転がうまかった。

フルーツ王国

道路を走行中、地元の農家がグアバを売っていた。ガイドさんが買って食べさせてくれた。素朴な甘さで美味しかった。青いりんごという感じであった。マンゴやバナナも栽培されていて、ふだん木になっている状態を見たことがないわれわれには珍しかった。またオレンジ色のココナッツ(椰子の実)買ってくれ、ストローをさして飲ませてくれた。おいしかった。中の白い実も食べ満足。ホテルで食事に出ていたパイナップルの切り方でちょっとした日本との違いを発見した。日本では中心部の硬い部分を取り除くが、どのホテルでもそのまま切り取らずに出していた。そのまま硬い部分を食べてみたが食べることができた。

野生の人間から見ると”日本人はか弱い”と感じた。それにしてもいろいろな果物がどこに行ってもある。熱帯地方だけにフルーツ王国である。

アヌラーダプラ遺跡

2500年以上前のスリランカ最古の都であったのがアヌラーダプラである。岩を利用して造った寺院であるイスルムニヤ精舎は、その古さがすisurumuniyaばらしかった。その近くにあった巨大な仏塔はきれいに白く塗ってあった。毎年塗り替えているそうである。

それからスリーマハー菩提樹。これはインドのブッダガヤの菩提樹より分け木された樹齢2000年の菩提樹である。仏教のルーツに近いところを歩いているような気になった。

シギリアロック


こんな岩の上にこれだけの宮殿を築いた当時の王カッサバの権力欲と恐怖心が1500年の時を超えて伝わってくるような場所であった。家内も何とか頂上まで登ることができたが、途中は急階段で運動不足の私にはきつかった。頂上へ着く前に壁画が描かれたところに立ち寄った。壁面に描かれたシギリアレディは仏像風であるが妖艶な雰囲気であり、圧巻であった。

頂上を望む八合目あたりに広場があり、そこでびっくりしたことがあった。頂上までの最後の昇りの階段の近くの斜面にスズメ蜂の巣があり、それにさされないため合

壁画 シギリアレディ

壁画 シギリアレディ

羽のようなものを着るようガイドさんから勧められた。ガイドさんも以前蜂にさされたそうである。結局、ガイドさんと私だけ着ることになった。ガイドさんの面目を保った。32度以上の気温の中でビニール製の合羽はまさにサウナ状態で汗だくになった。しかし、救いの神は風がよく吹くことであった。熱帯のジャングルの中にニョキと飛び出た岩山である。涼しかった。それにしてもシギリア頂上に残る遺跡は膨大なレンガ造りの宮殿であった。レンガひとつを持ってみたが恐らく3kgぐらい。これを下からこの頂上へこれだけたくさん運ばせたことを考えると、王の権力がどれほどだったか?カッサバは父を殺して権力を得た。復讐されることを予想してこういう岩山の頂上に宮殿を作った。恐怖心はここまでのことをするのか?

急な階段

急な階段

獅子の足の爪

獅子の足の爪

頂上で外国人と記念写真

頂上で外国人と記念写真

美しい壁画

美しい壁画


 

 

ポロンナルワ遺跡

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シギリアの次にポロンナルワ遺跡へ。これも800年前の仏教遺跡である。レンガ造りの基礎部分のみ現存していて、この上に7階建ての木造の建物があったということである。また、別の場所には石の柱が林立していた。閣議室だったということである。日本史でみると鎌倉時代である。その建築技術のすばらしさがわかる。この後、仏舎利塔や寺院跡などを見学した。豊かな人間の営みがあったことがはっきりとわかるものばかりである。認識を新たにした。

 

日本車の評判

日本車、それもほとんどの日本メーカーの車が走っていた。。中でも「福山通運」と後ろに書いてあるトラックが走っていたのには驚いた。日本

サルがお供え物を食べていた

サルがお供え物を食べていた

からの中古車であった。少々古くても大丈夫、という感じであった。インドのTATAの自動車もよく見かけた。ガイドさんによると、日本車には高い関税、それも200%の関税(たぶん新車の場合)がかかるということだが、それでも日本車の方が人気があるようだ。なぜなら性能がいい、故障しない、ことが理由のようであった。

30年以上内戦

北部地域を中心に内戦が長年続いて、つい数年前の2009年5月に終結したばかりであった。やはり民族対立が根底にあるようである。仏教を信仰する70%のシンハラ人とヒンドゥー教を信仰する18%のタミール人との間で争ったようである。特にタミル人の一部の過激派が内戦を起こしたとガイドさんは話していた。この長い内戦のため、ガイドさんは隣の国インドへは行ったことがないとのことである。インドへ行くには北部の港から船で行くのが一般的だったが、タミル過激派の管轄化であったため渡航できなかったそうである。

三角景勝地

アヌナダプラ、ポロンナルワ、キャンディと古い順の景勝地が三角形を形成していた。今回の観光もこの順で回った。キャンディは日本で言えば京都のような位置づけの観光地であった。三角形ということで思い出したのがインド観光のトライアングルであった。デリー、ジャイプール、アグラである。どっちが真似たのであろうか。

ダンブーラ

ダンブーラ

巨大な仏塔

巨大な仏塔

   
ブッダの歯が納められている寺

ブッダの歯が納められている寺

菩提樹

菩提樹

 

 

 

 

 

 

 

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