モンゴル旅行記

2025年7月26日より5日間、モンゴル国(Mongolia)を訪問した。

<基本情報>

1 面積:156万4,100平方キロメートル(日本の約4倍)

2 人口:約350.5万人(2023年)※人口密度は世界で最も低い部類に入る

3 首都:ウランバートル(人口約173.5万人、全人口の約半分)

4 民族:モンゴル人(全体の95%)及びカザフ人等

5 言語:モンゴル語、カザフ語

6 宗教:チベット仏教等(社会主義時代は衰退していたが民主化(1990年前半)以降に復活。1992年2月の新憲法は信教の自由を保障。)

7  旅行会社:阪急交通社(現地ガイド)


1 厳しい気候の中でたくましく生きる

 モンゴル高原が国土の大部分を占め、北はロシア(シベリア)で南は中国に面しており、 南部にはゴビ砂漠が広がる。中央部から東部は草原地帯。 気候は 内陸性気候で、年間を通して乾燥している。夏季は短く、気温の日較差・年較差が大きい。 冬季は寒さが厳しく、平均気温がマイナスになる。この気候は農耕には適さないようである。そういう中で遊牧という生業(なりわい)が考え出されたのであろう。われわれが訪れた7月下旬、日本はとんでもない猛暑の中で、モンゴルは秋のような季節感であり、日差しは暑いが比較的過ごしやすい気候であった。最高気温は24°cから27°c程度、最低気温は12°c程度。最終日は雨で最高気温は20°c。時に肌寒さを感じるような温度であった。夏というのはこの国にとって貴重な期間のようであった。どうやら一番いい時候に訪問したようだ。 冬はマイナス30度になるそうで、「 シベリア 」と接していることがその厳しさを証明している。日本兵捕虜の抑留もあったそうである。

 モンゴルといえば なだらかな丘の大草原に羊や牛や馬が草を食べている風景が思い浮かぶと思う。 まさにその光景があちこちで見られた。反面、ウランバートルは高層ビルが 林立する都会であり、国の人口の半数が住んでいる。したがって市街地の 道路は渋滞が多かった。 大気汚染もあるそうである。

移動の際、ゲルの材料をすべてラクダに乗せて運ぶ

2 ゲル(移動式テント住居)に泊まる

 遊牧民は家畜に食べさせる草や水を求めて人間も家畜も移動する。したがって住居はテントのような住居にならざるをえない。モンゴルではゲルという住居を使っている。家畜(ヒツジ、ヤギ、ウシ、ウマ、ラクダ)を連れて各地を移動している。家畜から得られる乳、肉、毛皮などを主な資源として利用する。乾燥地帯の厳しい自然環境に適応した生活方法で、持続可能な自然資源の利用を目指した人知の集大成である。
 それにしても厳しい冬はどのように家畜に食べさせるのだろうか、と心配してしまう。おそらく厳しい自然の攻めに対して最初は人間がやられてしまう。しかし、工夫を凝らし知恵を尽くして乗り越えてきたようである。これからも自然と四つに組んで相撲を取り、七転八倒の上、勝ち超えていってほしい。ゲルを見て思ったのは、冬の寒さ対策を重視した作りになっていて、その厳しさが想像できる。

ゲル(阪急交通社サイトより)

われわれが宿泊体験したゲルは、観光客向けに作られたもので、エアコン・シャワー・トイレが完備されていた。それでも内陸性気候の特徴である寒暖差は体験することができた。夜から朝にかけては肌寒さも感じる温度であった。
 

観光客用ゲル(エアコンとシャワー完備)

3 遊牧民と定住民

 モンゴルの遊牧民は約32万人から40万人程度といわれている。人口密度が世界のトップレベルで低いという国土の広さと国土の約80%が草原であることが、遊牧を支えている。人口密度が高い日本では到底無理である。

 それにしても生活の拠点を移動しながら暮らすのは、定住が当たり前の人間からするとずいぶん大変だろうなと思う。一番困るのは飲料水とトイレではないかと思う。世界有数の飲料水に恵まれた日本からすると、衛生的に安全な飲料水を手に入れることは生活の最重要ポイントになる。しかし、水道は整備されていないので、結局あるものから手に入れるしかない。河川・湖沼・地下水・雨水などから工夫して得るしかない。結局、井戸水と購入したミネラルウォーターでやりくりするそうである。トイレは地面に穴を掘って簡易トイレとして使い、移動の際は埋めているそうである。
 しかし、この問題も定住民から見た問題であって、遊牧民から見たら大した問題ではないのだろう。自然を相手にして家畜を育てる生活スタイルにおいて、定住民の価値観とは違ってくる。何を優先的に考えて生活していくか。家畜に食べさせる草の問題は遊牧民の最重要問題であろう。最近放牧地が減少しているという話もある。
 余談だが、ヤギ・馬・牛の乳も飲料水代わりになるのではないだろうか。その証拠に馬乳酒がある。今回、飲ませていただいたがそれほどアルコール分は多くなかった。

4 チンギスハンとは

 チンギス・ハンは1206年にモンゴル帝国を建国。その孫であるフビライ・ハンはモンゴル帝国の第5代皇帝として中国を統一し、国の名を元とした。フビライ・ハンは日本にも従属を要求した。当時の日本はそれを拒否したため、元寇(蒙古襲来)を引き起こした。モンゴル帝国は東はヨーロッパ、西は東アジアに及ぶ巨大な帝国となった。

 以下、作成中。

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