![]() オランダ キンデルダイクの風車群 |
![]() ベルギー ミンネワーテル愛の湖公園 |
3月21日から8日間、オランダ・ベルギーを訪ねた。比較的天候にも恵まれ、添乗員のMさんの献身的なサポートに助けられ、思い出深い楽しい旅を満喫した。
☆オランダの基本情報
■首都:アムステルダム■人口:約1,648万人■面積:約41,864km²
■宗教:キリスト教、その他
■言語:オランダ語
■通貨:ユーロ
☆ベルギーの基本情報
■首都:ブリュッセル■人口:約1,111万人■面積:約30,528km²
■宗教:キリスト教(カトリックが75%、プロテスタントが25%)
■言語:オランダ語,フランス語、その他
■通貨:ユーロ
☆旅行の基本情報
■旅行社:阪急交通社 ■旅行費用:約23万円 ■添乗員同行
3/21(木) 関空から香港経由でアムステルダムへ
18:10に関西国際空港を出発(キャセイパシフィックCX-0595)し、空路、香港へ 向う。ほぼ満席状態であった。香港到着後、航空機を乗り継ぎ、アムステルダムを目指した。これが最初の香港までの飛行時間に比べ、実に長い。 これをクリアしないとヨーロッパを旅することはできないので、睡眠や機内エンタメなどでひたすら癒すしかない。
飛行時間:関空・香港間→ 04時間45分 香港・アムステルダム →12時間45分
3/22(金) アムステルダム到着、風車とブルージュ歴史地区観光
06:10アムステルダム着後、キンデルダイクへ(約96km)。世界遺産のキンデルダイクの風車群観光。あいにくの霧で行く途中、ずいぶん視界が悪かったので全く見えないのではないかと心配したが、近づいていくと風車群がかすみながらも見えてきた。そもそも風車は何のために作られたのか。それは、低い土地から水をくみ上げ堤防を越えて川の方に戻すことでその土地を畑に変えたのである。元来オランダは海抜0mより低い土地が多く、最高地点でもわずか322mである。低い土地を活用するために作られたオランダ人の知恵である。
![]() 霧がかかった風車 |
![]() 風車その2 |
![]() 結構大きな建造物! |
![]() 風車その3 |
その後、ブルージュへ(約180km)。「屋根のない美術館」、「水の都」といわれるベルギーの ブルージュ 歴史地区(世界遺産)。それを満喫するために運河クルーズの船に乗った。下手な写真しか撮れない私でも、本当に絵画のような風景をいくつもカメラに収めることができた。
![]() ミンネワーテル(愛の湖)公園 |
![]() 運河クルーズ風景1 |
![]() 運河クルーズ風景2 |
![]() 運河クルーズ風景3 |
![]() 聖母教会 |
![]() 運河から見た鐘楼 |
![]() ベギン会修道院 |
![]() ミンネワーテル愛の湖公園 |
3/23(土) ゲント、アントワープ、ブリュッセル観光
まず、ブルージュと同様に中世の姿が残る古都ゲントへ。有名な宗教画「神秘の子羊」が飾られている聖バーフ教会や聖ミハイル橋やグラスレイなどを徒歩で見学した。残念ながらその絵は現在修復中でレプリカが置かれていた。
![]() 聖バーフ教会 |
![]() 聖バーフ教会内部 |
![]() 聖ミハイル橋 |
![]() グラスレイ |
![]() グラスレイその2 |
![]() 塔は鐘楼、右手前は市庁舎 |
![]() 鐘楼と繊維ホール |
続いて、ベルギー第2の都市アントワープへ。アントワープといえば「フランダースの犬」を思い出すのが我々の世代以上の習慣であろう。1872年にイギリスのウィーダが書いた小説であるが、日本では1975年にテレビのアニメで放送され、一躍有名になった。「ネロとパトラッシュ」という主人公の名前は日本中に知れ渡った。その小説の舞台になった教会等の見学を行った。ガイドさんの説明によると、アントワープはヨーロッパ有数の港湾都市でもあり、EUの主要都市を結ぶ物流ネットワークの拠点になっているそうである。貨物取扱量も世界4位だそうである。
![]() ノートルダム大聖堂 |
![]() マルクト広場 |
![]() 市庁舎 |
![]() ブラボーの像 |
続いてベルギーの首都ブリュッセルの旧市街を見学した。中でも中心になるのがグランプラスという広場である。この広場に面する形で王の家や市庁舎があった。そしてヨーロッパ最古のアーケード街であるギャルリー サンチュベールを歩いた。チョコレートの店が多かった。さらに、有名な小便小僧を見学、冬だったので洋服を着せていた。
![]() グランプラスの市庁舎 |
![]() グランプラスの王の家 |
![]() サンミッシェル大聖堂 |
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3/24(日) モダーブ城、デュルビュイ観光
午前中はモダーブ城の見学。早い時間でしかも予約制だったせいか、今回われわれだけで独占的に見学することができた。広大な敷地で135万坪ある。日本でいえば江戸時代後期に再建された。元は鎌倉時代に作られたもの。日本人の結婚式の予約をたくさん受けているそうである。確かに絵になる風景が多かった。
モダーブ城につながる道
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城の外観
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本館の玄関
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玄関の天井
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午後は深い森に佇む小さな街、デュルビュイへ。非常にこじんまりとした街でゆっくりと歩いて見学するのにぴったりの規模であった。
デュルビュイ城
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3億年前からあるドーム型岩山
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3/25(月) デルフト、フェルメール鑑賞、アムステルダムへ
陶器デルフト焼や絵画の巨匠フェルメールの生誕地として有名なオランダの古都、デルフトへ。17世紀に繁栄した街で運河沿いやマルクト広場の周辺に当時の風景が残っている。デルフトの観光後、フェルメールの作品が展示されているハーグのマウリッツハイス美術館を見学した。そして有名な「真珠の耳飾りの少女」を鑑賞した。絵画に関する知識が乏しい私でも見たことのある世界的に有名な絵画を何の制限もなく写真撮影ができたことに驚いた。そこで今回は、著作権の面で問題のない精細な写真をネット上からダウンロードし、使用させていただいた。
☆フェルメールについて
17世紀(1632年~1675年)に活躍したオランダの画家で、バロック期を代表する画家の1人である。映像のような写実的な手法と綿密な空間構成そして光による巧みな質感表現を特徴とする。(Wikipediaより引用)公表されている作品は36しかない。生涯のほとんどをデルフトで過ごした。
マルクト広場と新教会
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マルクト広場の市庁舎
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フェルメールセンター
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広場にあったチーズ店
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船を通すために開いている跳開橋
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跳開橋の間を通る船
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デルフトの街並み
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運河の先は旧教会
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フェルメール 真珠の首飾りの少女
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マウリッツハイス美術館
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アムステルダムでは運河クルーズを楽しんだ。運河からの街並みも素晴らしいものだったが、ハウスボートという家の形をした船がいたるところに係留されていたのが印象的であった。エンジンはついてないことが多く、実際に住宅として使われてそうである。オランダならではの人々の生活の知恵に感心した。
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ハイネケンの体験館 |
ハウスボート |
3/26(火) アムステルダム観光
今日が実質最後の観光になる。オランダ観光の最後を飾るにふさわしいものを見学した。それはアムステルダム国立美術館とキューケンホフ公園である。前者では、ゴッホの自画像とフェルメールの「牛乳を注ぐ女」、後者ではチューリップと風車が今回のわれわれの旅行を飾ってくれた。ともにオランダを代表するものとして私のイメージ記憶領域に深く刻まれた。特に前者の絵画については写真撮影や著作権がOKであったことが驚きであった。
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アムステルダム国立美術館 |
アムステルダム中央駅 |
オランダといえばチューリップを思い出す人も多いのではないだろうか。それを見せてくれるのがキューケンホフ公園である。今回の時期がベストシーズンではないと思うが、結構美しい花が咲いていた。逆に言えばベストシーズンだとバスがたくさん連なって大渋滞になるそうでる。今回はラッキーだったのかもしれない。
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3/27(水) アムステルダムから帰路へ
12:45 アムステルダム空港から香港経由で関西空港へ向かう。
※飛行時間
CX-0270 アムステルダムー香港間 11時間10分
CX-0506 香港ー大阪間 03時間30分
3/28(木) 帰国
15:00 関西国際空港到着
☆蛇足 スーツケース盗難?!
今回の旅の最終局面で我々にとってはとんでもない事件が起きた。荷物のターンテーブルからスーツケースの一つがいつまでたっても出てこないのである。荷物係の人に訴え調査を依頼した。すぐにはわからないということで連絡を待つことにした。誰かに盗まれたのではと心配になったので空港内の交番にも相談した。空港に勤めて3年になるという警察官が教えてくれたのは、スーツケースの盗難というのはほとんどないということ。考えてみれば、お金やパスポートなどの貴重品は通常手荷物に入れるので、スーツケースに貴重品は入れないことが多い。そこで盗難の対象になる可能性が低いのである。我々の場合も基本的には貴重品類はあまり入れていなかったが、旅先で買った思い出のこもった土産物やなくなっては困るものも結構あった。落胆の気持ちを抱えながら、、その晩宿泊予定のホテルに向かった。半分あきらめていたところに、荷物係の人から電話があった。「香港に荷物があった」と。結局、荷物の荷札が運搬の過程で取れたことでどこ行きの荷物かがわからなくなり取り残された、ということであった。翌日朝、空港に行き、荷物を無事受け取った。よかった!よかった!