イギリス旅行記

湖水地方ウィンダミア湖

クラシックな2階建てバス

 12月14日から8日間、イギリスを訪ねた。雨や曇りが多いと言われるイギリスだが、それほど雨に困ることもなく旅をすることができた。また、緯度からするとずいぶん寒いところのように思えるが、メキシコ暖流が流れているおかげで私の住んでいる西日本とさほど変わらない温度に思えた。今回、29人の団体ツアーだったが皆さんと楽しく旅を満喫させていただいた。

☆イギリスの基本情報

 ■首都:ロンドン■人口:約6,602万人■面積:約25万㎢ (日本の約3分の2)
 ■宗教:英国国教会、その他
 ■言語:英語
 ■通貨:ポンド

☆旅行の基本情報
 ■旅行社:阪急交通社 ■旅行費用:約21万円 ■添乗員同行(スイス旅行の時の添乗員さんだった)

12/14(土)  関空から直行便でロンドンへ

 11:10に関西国際空港を出発(ブリティッシュ・エアウェイズBA-0020)し、空路、ロンドンへ 向う。今回は直行便だったことと空席があったので長時間ではあるが比較的楽な思いをさせてもらった。

飛行時間: 12時間40分 時差(日本/イギリス):-9時間

 ロンドンのヒースロー空港に着いたのは午後3時過ぎであった。それからバスでリバプールのホテルまで約336kmの大移動である。ホテルに着いたのはほぼ予定通り午後9時半頃だった。

12/15(日) 湖水地方と田舎の村ハワース

 最初は今回の訪れる観光スポットの中でも一番北の湖水地方LakeDistrictからスタートした。緯度で見るとグレートブリテン島の中央部に位置し、約500ぐらいの湖や1000m近い山が連なる風光明媚なところである。湖の中で一番大きいウィンダミア湖に行き遊覧船に乗った。冬の湖上にしてはそれほど寒さを感じなかったので甲板に出て写真を撮った。下船してからはボウネスBownessという街を散策した。ボウネスは、「ビアトリクス・ポターの世界」という、ピーターラビットのミュージアムで有名だそうである。昼食休憩の後、バスに乗ってハワースHaworthへ移動。ハワースについたころはあたりも少し暗くなっていた。何とこの時期の日没時間は4時前であった。さすが高緯度の国である。そんな中でもハワースの街中を見学した。クリスマスを控えた時期なのでチャリティの音楽演奏をやっていてイギリスの田舎町の雰囲気がよく出ていた。 

湖水地方1

湖水地方2

ウィンダミア湖遊覧船乗り場

ウィンダミア湖

遊覧船からの風景

遊覧船を下船しての風景

ボウネスの街中

ハワースの街中

ハワース パリッシュ教会

 

12/16(月) リバプール、チェスター、そしてコンウィへ

 リバプールLiverpoolといえば何を思い浮かべるだろうか?ビートルズ、サッカーチーム、・・・。 今回、初めて知ったもう一つの顔は、港湾都市としてのリバプールだった。18世紀から貿易港として栄え、ヨーロッパでも有数の港として発展した。有名なタイタニック号の母港の一つでもあった。今回はビートルズゆかりの場所と港湾関連施設を訪れた。

 その後、チェスターChesterへ向かった。リバプールとチェスターは33kmしか離れていないが、歴史的には貿易港としての役割を引き継いだような関係にある。ウィキペディアには次のような記述があった。「リバプールは18世紀より貿易港として発展した。しかし17世紀末に近郊のチェスター港が泥の堆積によって衰退、チェスターに代わってイングランド北西部商業都市の代表格にのし上がり、・・・」 チェスターは、城壁が旧市街を取り囲んでおり、そのため中世の街並みがそのまま残っている。黒い木骨組に白壁というチューダー様式の建物と「ザ・ロウズ」という2階部分のバルコニー連結通路が特徴である。 

 そして、今日の最後はコンウィである。今回の観光スポットはほとんどがイングランドにあるのだが、唯一ここはウェールズに属する。13世紀にエドワード1世が造った城と街でいろいろな戦争を経ているが城壁はほぼ完全な形で残っている。

キャバーンクラブ付近でレノン像と

ビートルズも演奏していたというクラブ

ビートルズ博物館

マシューストリート

アルバート・ドック

アルバート・ドックから市街地をながめる

中世の雰囲気が残るチェスターの街並み

チェスターの街並み

チェスター大聖堂

「ザ・ロウズ」というバルコニー連結通路

コンウィ城

コンウィの街並み

12/17(火) 「シェークスピア・タウン」と「イギリスの原風景」の観光

 今日の最初はそのコッツウォルズCotswolsの北部に位置するストラットフォード・アポン・エイボンStratford-upon-Avonから観光した。日本ではありえない長い名前なので気になって調べてみたら、ストラットフォードという地名があちこちにあり、それを区別する意味で、「エイボン川沿いのストラットフォード」という名前にしたようである。ただし詳細は不明。この町は、いわゆる「シェークスピア・タウン」といった町である。シェークスピアの生家に始まり、妻のアンハサウェイの家、そして2人が眠るホーリー・トリニティ教会などを見学した。

シェークスピアの生家

シェークスピアの妻、アンハサウェイの家

シェークスピア公園

ホーリートリニティ教会

 コッツウォルズ地方は、ロンドンの西約200kmのところに広がる丘陵地帯で、イングランドのほぼ中央に位置する。コッツウォルズとは、「羊のいる丘」ということばが語源になっているそうで、文字通り13世紀頃に羊毛産業の集散地として栄えた場所である。移動中のバスの車窓からも牧草地と放牧されている羊がよく見かけられた。イギリスの田舎という雰囲気が感じられた。その中でも特にバイブリーBiburyはイギリスの原風景という感じであった。14世紀に造られた石造りの趣のある家が並んでいた。その後、ボートン・オン・ザ・ウォーターを見学・散策した。 「On the Water」 とは「水辺」を意味するのではないか、と思うが、文字通りの川沿いの景色は美しいものだった。 

バイブリーの14世紀に造られた家

ハチミツ色の石造りの家

バイブリーの家

ボートン・オン・ザ・ウォーターの街並み

文字通り、「水辺」

こういう看板がありました

12/18(水) オックスフォードとロンドン市内の観光

 オックスフォードOxfordといえば大学の街として知られるが、文字通り、大学=街というふうに思えた。ただし、次の点を押さえておく必要がある。そもそも日本でいう大学と仕組みが違う。大学はユニバーシティuniversityと訳されるが、そのユニバーシティは、複数の小規模な大学であるカレッジcollegeが集まってできている。したがって、オックスフォード市内に〇〇カレッジがたくさんある。オックスフォード大学で学ぶという場合、オックスフォード市内のどこかのカレッジで学ぶことになる。その中でも有名なものが、マートンカレッジ。1264年創立でオックスフォード最古のカレッジである。天皇陛下や皇后陛下が留学していたことでも知られている。他にクライストチャーチ(カレッジ)や図書館の一部であるラドクリフカメラなどを見学した。

マートンカレッジ

クライストチャーチ(カレッジ)

ラドクリフカメラ

ため息橋

 そしてロンドンへ。目玉スポットは大英博物館。規模と内容で他の博物館を圧倒する世界トップレベルの博物館である。一例をあげれば、エジプトのロゼッタストーン、ギリシャのパルテノン神殿の彫刻群、イースター島の石像等々。世界史におけるイギリスのかつての栄華を象徴するかのような宝物がそこかしこに展示されている。本来あるべき国からどのようにしてこちらへ持ってきたのか、気になるところである。調べたら、パルテノン神殿の彫刻群についてはギリシャとの間で返還問題があるそうである。私は以前イギリスを訪れたとき、この博物館の近くのホテルに泊まりながら、博物館を見学できなかったので、今回は特に楽しみであった。約1年前2018年12月にギリシャでパルテノン神殿を見学しているので、その彫刻群に一番関心があった。これだけのものをよくも切り取って持ち帰ったものだと思った。さらにエジプトのミイラも興味をそそるものだった。

大英博物館

館内

エジプトからの宝物

イースター島モアイ像

エジプト ロゼッタストーン

パルテノン神殿の彫刻群(左)

パルテノン神殿の彫刻群(右)

エジプト出土品

ミイラ

保存状態がいいミイラ

12/19(木) ロンドン市内観光2日目

 今日は、ルートマスターRoutemasterというクラシックな2階建てバスを借り切ってロンドン市内を観光。バスを降りてからも徒歩で主要な観光名所を見学した。中でも圧巻はナショナル・ギャラリー。有名なトラファルガー広場に隣接する国立の美術館で、ここも大英博物館同様、基本的には無料で入館できる。ゴッホ、フェルメール、ルノワールなど有名な画家の作品はもちろん、おもしろい作品も多く、美術ファンでなくとも楽しむことができる。徒歩圏内にウェストミンスター寺院、バッキンガム宮殿、トラファルガー広場、ビッグベン(国会議事堂)などが集積しており、観光客にはありがたい。残念だったのはビッグベンが工事中で時計塔がおおわれており、いい写真が撮れなかったこと。

トラファルガー広場

ナショナルギャラリーとマーケット

ゴッホ「ひまわり」

ポール・ドラローシュ 「レディ・ジェーン・グレイの処刑」

フェルメール「ヴァージナルの前に立つ女」

ルノワール「雨傘」

ジョルジュ・スーラ「アニエールの水浴」

ウェストミンスター寺院

ウェストミンスター寺院

バッキンガム宮殿

ビッグベン(国会議事堂)

工事中のビッグベン

Routemaster

2階建てバス車内

レスター・スクエアのチャップリン像

 

12/20(金)  ロンドンから直行便で帰国

 12:30にロンドン空港を出発(ブリティッシュ・エアウェイズBA-0019)し、大阪へ 向う。

 飛行時間: 12時間10分 

 関西国際空港に着いたのは12月21日(月)午前9時40分ごろであった。やはり帰りは少し飛行時間が短かった。

※EU離脱 Brexit

 EU欧州連合からの離脱が日本でも大きく報じられる中、その雰囲気が感じられるかと思っていたが、田舎を主に観光したことと期間も短期間であったことから特にそれは感じなかった。嵐の前の静けさなのかもしれない。それに関連することとして、イギリスを構成する4地域の独自性があると言われている。日本人からすると、ひとくくりで「イギリス」と考えるが、やはりイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4つの「国」で構成されているようである。独自の文化があるようである。

※英語とフランス語の関係 

Q.英語とフランス語の語彙が大量に被っているのはなぜか。 

 それは英仏百年戦争にさかのぼる。この戦争は、1339年から始まったイングランド対フランスの王位継承戦争。最終的にはフランスのジャンヌ・ダルクの活躍などでイギリスはフランスにあった領土をほとんど失い、現在のイギリスに近い島国となる。元来イギリス王室は、フランス王国の諸侯であったノルマンディー公がイングランドを征服したことから始まっており、ほとんどがフランス人で、上流階級ではフランス語を話しており、反対に下の人は英語を話していた。この長い戦争の中で、イングランド側は士気を高めるために英語の使用を推進した。そういう背景の中で、フランス語語彙が英語に大量注入されたわけである。 

※イングランド国教会とカトリック (一部引用:ウィキペディア) 

 もともとはカトリック教会の一部であったが、16世紀のイングランド王ヘンリー8世からエリザベス1世の時代にかけてローマ教皇庁から離れ、独立した教会となった。プロテスタントに分類されることもあるが、他プロテスタント諸派とは異なり、教義上の問題でなく、政治的問題(ヘンリー8世の離婚問題)が原因となって、カトリック教会の教義自体は否定せずに分裂したため、典礼的にはカトリック教会との共通点が多い。やや乱暴な言い方をすると、離婚したいヘンリー8世が離婚を認めないカトリックに対して出した答えが、「カトリックからの離脱=イングランド国教会の立ち上げ」だったわけである。

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